2016/07/15
アラン・ケイが考えるコンピュータと教育
東京都渋谷区にある小学生対象のプログラミング教室スモールトレインで講師をしております福井です。18回目の今回は「「アラン・ケイが考えるコンピュータと教育」です。アランケイといえばパーソナル・コンピュータの生みの親であり、スクラッチを作った人物でもあります。
教育に大変熱心であり、スクラッチは教育言語として考えて、スクラッチを使って教えてみると、その考えがよく理解できます。それで今回は1983年の講演の内容をご紹介します。今読んでも大変面白い内容となっています。
学習というのは、注意が集中した時に怒るものです。子どもに関しては、これは周知のことですし、最近、成人についても同様だということがわかりました。ということは、学習をうながすのに、複雑な学習理論など不必要だということになります。ただ、人々が注意を集中するように仕向ければよいわけで、それなら方法はいくらでもあります(142頁)。
子供たちが集中できるようにすること。私はどのような課題を与えるかだと考えています。その課題をプログラミングすることで集中し、結果として楽しくなる。考えることも楽しくなる。楽しいというのはあくまでも結果です。それが目的ではありません。
子どもたちが突き進むままにしておくべきですが、同時に、”スタイル”を示すことによって、彼らを助けてあげるべきです。子どもというのは、エネルギーはありあまっていますが、スタイルというものがわからないものです。子どもたちから学んでください、そうすれば、彼らのほうもなにかを学ぶでしょう(143-144頁)。
子どもたちに答えを教えることが先生の役割ではありません。アラン・ケイも述べていますが、コーチのような役割が適切でしょう。塾業界でも多いのですが、先生が生徒に教えているかのように見えて、先生がすべて答えを教えてしまっている。「いいか、分かったか?」と言えば、子どもたちは「分かった」と言いますよね。これはプログラミングでも同じで、教えることが大切ではなくて、何を教え何を教えないかという区別ができるかどうか重要なのです。
私達の教室はプログラミングそのものを教えてるのではなく、プログラミングを通して考え方を学ぶことが目標です。そういう意味で塾で小学生の教育に関わってきた自分の経験が活かせると考えています。
最後にアラン・ケイはコンピュータ・リテラシーについて次のように言っています。コンピュータ・リテラシーという言葉もアラン・ケイが造った言葉です。
コンピュータ・リテラシーというのは、コンピュータでの読み書きに相当する能力を流暢なものにし、そして、楽しいものができるほど、充分に深くコンピュータと接することをいう。あらゆる芸術と同様、「素材との恋愛」は充分に深めなくてはいけない。芸術や学問の生涯にわたる修得が、個人や社会の成長のスプリングボードになると考えるなら、コンピュータがわれわれの生活の一部にするために、相応の努力が必要ではないだろうか(120頁)。
さて、みんなでコンピュータを愛せるぐらい使いましょう!!現在、プログラミング教室スモールトレインでは、説明会&体験会を実施中です。ご興味のある方はぜひご参加ください。次回は7月23日(土)です。
参考文献:ケイ, アラン(1992)『アラン・ケイ』(浜野保樹監修・鶴岡雄二訳) アスキー出版局