2016/08/03

プログラミングには国語力が必要?国語力とプログラミングの関係とは

国語力

東京都渋谷区にある小学生対象のプログラミング教室スモールトレインで講師をしております福井です。23回目の今回はプログラミングと国語力の関係です。私たちの教室ではプログラミングの他に国語教育のカリキュラムも用意しています。それは国語力育成が大変重要だと考えているからです。

国語力の必要性はプログラミングだけに限りません。国語力があること、つまりは読解力と文章力になるわけですが、特に読解力は重要です。私は大学院でこれしか教えてもらわなかったと言っても過言ではありません。

字を読むこと、つまりただ字面を追っているだけでは文章を理解したことにはなりません。文章を理解するということは、書き手になりきることができるかどうかです。例えばAという問題に対して書き手はこうした答えを出した。それならば同じ書き手はBという問題に対してはこのような答えを出すに違いないと説明できること。これが重要です。

国語力はとても重要だと前々から思っていたのですが、それはプログラミングに関しても同様で、実際に以下のように主張されている方がいて、改めてそう思いました。

余談はさておき、建物を造るのも、車を造るのも、ソフトウェアを作るのも、何かを「つくる」ことにおいては共通している。しかし、ソフトウェアは、ほかのものと違い、工業的生産物としては、言葉との関連が強い。どんな製品を「つくる」にしても、最初期の段階では何らかの形で文章にした企画書を書かなければならない。当然のことながら文章力が要求される。ソフトウェアはその最たるものである。ましてや、その後の要求仕様、詳細設計、コーディング、使用説明書、いずれにおいても文章力、というより、言葉力が必要とされる。ここで「言葉力」と書いたのは、文章のみならず、言葉の使い方のすべての面における能力を指したいがためである。
(中略)
日本の学校教育における国語の授業では、情報を正確に伝えるという言葉の重要な側面が少なからず捨象されている。ソフトウェアの企画書を例題として、どの部分の情報がまだ不足しているか、どこに矛盾があるかといった問題がセンター試験の国語で出るようになるのはだいぶ先の話か、あり得ない話だろう。
国語力とプログラミング力の関係 解説編 (1/2)

確かにこうした教育は不足しているのですが、文章を読んで何が足らないのかの訓練は大学でしっかり学ぶべき事柄なのだと私は思います。これはまさに訓練のレベルで誰でも身につける事が可能でしょう。私は幸いにして大学院でこうした内容の教育を受けたわけですが、一般の大学ではどうなのでしょうか。ゼミも存在しない、卒論もない大学ではなかなか難しいのかもしれません。

中学受験を教えていると算数はできるのに国語ができないとか、国語ができるのに算数ができないという子どもたちがいるのですが、私はそれはないと思っています。では、なぜそうした成績の違いが出るかというと、好きか嫌いか、興味があるかないかの差が存在するからです。好きなことは時間をかけてやります。当然成績は伸びます。一方、嫌いな方はやらないですよね。やらなければできないですよね。

中学に行ったら文系の方が得意になったとか、理系の方が得意になったという話を聞くわけですが、それは中学への進学をきっかけに苦手だと言っていた教科を勉強するようになったからでしょう。そうした経験もあって、以前から国語力の重要性について考えてきました。

今はスクラッチを使ってプログラミングを教えていますが、課題のプリントがあるので、それを読み取る力が問われますし、スクラッチは日本語のブロックですから、日本語としてそれをどう表現するかも問われます。そういう考えの下、スクラッチを使って算数の問題をプログラミングする形にしています。

現在、プログラミング教室スモールトレインでは、説明会&体験会を実施中です。8月の説明会&体験会は8月6日(土)、8月17日(水)~19日(金)です。スクラッチを使ったプログラミングに興味のある方はぜひお気軽にご参加ください。

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