2016/09/13

数学と計算する機械~森田真生『数学する身体』を読んで

数学

東京都渋谷区にある小学生対象のプログラミング教室スモールトレインで講師をしております福井です。プログラミングを使って教育をと考えた際に改めて数学の勉強をしました。それまで20年ぐらいは文系の勉強ばかりしてきたのですが、数学も違和感なく入り込めて面白かったです。

ただ私自身が興味があるのは数学そのものについてで、数学の各分野を深めることではありません。岡潔とかそういうレベルの本も買いましたが、それよりもこちらの本の方が読みやすく、共感できる部分が多々ありました。

この本の中でも特に今回の教室に関係するのが第2章の「計算する機械」です。つまり、コンピュータとのところです。コンピュータというのは計算する機械です。計算というのは数学のひとつの手段でしかなく、数学には実は直観など説明できなものが含まれています。そのため、数学と計算の間にはかなり距離があると言えるでしょう。

しかし、「数学する機械」もできるのではないかと考えた人がいます。それは誰かというと計算する機械を誕生させる元になったアラン・チューリングです。これは人工知能にもつながる話ですよね。

チューリングは、行為として現れている「計算者」の動作に注目して、それをモデル化することで「計算」それ自体を数学的な対象に仕上げてしまった。
(省略)
チューリングが編み出した仮想的な機械は、戦時中の様々な要請と符合する形で、チューリング自身の手によってではないものの、物理的なハードウェアとして実装されるところまできた。「計算」は、数学的研究の対象であるばかりではなく、触って動かすことのできる、物理的な機械になったのである。(98頁)

さて、国語と算数をプログラミングと一緒に学ぶことの意味は、考える方や考えることそのものをするためです。この本では以下のように書かれています。

 チューリングの心を魅了したのは、いつも「解けるかどうかわからないパズル」であった。「計算」から出発して、人間知性の神秘へと迫っていこうとしたチューリングは、はたして解けるパズルを解こうとしていたのか。それは誰にもわからない。
しかし、彼が、いかなる難問を前にしても、常に「解ける」方に賭けて挑み続けたことは確かだ。不安の中に、すなわち間違う可能性の中にこそ「心」があると、彼は誰よりも深く知り抜いていたからである。(110頁)

つねに考え続けることはとても大変なことですが、考えることにこそ意味があると思っています。それをチューリングは「心」としていますが、そこにこそ面白さがあるとも言えます。楽しい教育というのは楽しさを目的にした時点で間違いです。考えることそのものが楽しいという教育を行いたい。そう思って日々頑張っているところです。

多くの方にプログラミング教室スモールトレインに参加していただくため、コースとして月2回、月4回、月8回とあり、曜日固定ではなく空いている時間に来られます。遠方だからと悩んでいる方もぜひ説明会にご参加ください。お待ちしております。

現在、プログラミング教室スモールトレインでは、説明会&体験会を実施中です。9月の説明会&体験会は9月11日(日)、9月22日(木)です。ぜひお気軽にご参加下さい。

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