2016/06/28
やさしく教育論②~「できる」「分かる」「考える」
東京都渋谷区にある小学生対象のプログラミング教室スモールトレインで講師をしております福井です。第5回目はやさしく教育論②として「できる」「分かる」「考える」です。こちらもやさしくデジタル2015年11月号に掲載されたものが元になっています。
「できる」「分かる」「考える」とは何だろう
塾業界で約15年間、私は中学受験に必要な4教科すべての教育に携わりました。塾ですから第1志望校に合格するというのが第一の目標です。その目標のために私も努力してきたわけですが、その中で常に考えていたことは「なぜ同じ授業を聞いているのにできる生徒とできない生徒がいるのか」ということでした。
先生は授業中に必ず生徒に質問します。「分かった?」と。ほとんどの生徒が「分かった」と答えます。そこで同じような問題を解かせます。でもその「分かった」と答えた生徒は解くことができません。「本当に考えたの?」「本当に分かったの?」。先生にこう聞かれては生徒は沈黙せざるを得ません。ただただ黙っているのです。
こうした状況で「生徒が悪い」と考えてしまうことは簡単です。そうではなく、「なぜ生徒は分かったと答えるのに問題が解けないのか」ということを真剣に考えなければいけないはずです。
算数を例にとってみましょう。①の答えは簡単にできると思います。②はどうでしょうか?
①次のXにあてはまる数を書きなさい。
1/3=X/9
②なぜその答えになるのかを図を用いて説明しなさい。
算数の問題というのは②までできて初めて分かるということを意味しています。①はただの計算です。①の答えが出せたとしてもそれで「分かる」とは言えないのです。授業を振り返ってみると生徒は「分かった」と答えていたとしても、それは先生が途中まで誘導して、生徒はただ計算をしただけで終わっているということが多くあります。
つまり、ただ計算をさせるだけではなく、なぜそうなるのかを考える訓練というのが必要だということです。そうした訓練をすることで、ただの「(計算が)できる」が「分かる」になり、結果として初めて応用できる、つまり「考える」ことができるようになるのです。
こうしたことは何も算数だけの問題ではありません。勉強だけではなく、実社会でも同じです。社員教育の場でも「君は何も分かってない」という人がいるのですが、分かるというのはどういうことなのかしっかりと教えていかなければいけません。ただただ「考えなさい」「頭を使いなさい」では具体的な指示にはならず、指示した側も指示された側も不幸な結果に終わります。
学校の勉強というのはこうした「できる」「分かる」「考える」ということを教えるのに最適のテキストであるはずですが、答えが合っているか間違っているか、計算ミスはないかという部分にこだわってしまうあまり、肝心のこうした能力を育成できていません。
当教室ではプログラミングを教育に取り入れ、考える力を育て新しい価値を創造する力を養うカリキュラムを作りました。説明会&操作体験会を実施していますので、ぜひお気軽にお申し込みください。当日、お子様にはスクラッチで簡単なゲームを作ってもらいます。この機会にプログラミングに触れてみてください。
*このコラムは、コンピュータリブ社の発行する「やさしくデジタル11月号」に掲載されている内容を許可をいただいて加筆して転載しております。